ぽんぽんの憩い

過敏性腸症候群で強めのHSPです。日常などを綴っていこうと思います。

自分の体との付き合い方 理解することと思い込むことの違い

 

去年の話なんですが、健康診断でコレステロール値が低く出てしまい、再検査となりました。簡単にいうと栄養失調とのことなのですが、先にお断りしておくと私普通にご飯食べていますし、体重も標準値です。

何かの間違いなのではと思いつつ別の病院へ再検査を受けに行き、お医者さんに開口一番「そうは見えないけどね。」と言われながらも血液検査とついでにアレルギー検査を受けました。

結果は栄養失調に関する数値は正常、花粉症が全ての種類で引っ掛かりました。

数値を見ながら先生に「これは毎年花粉の時期辛いでしょ。」と言われたのですが、私、花粉症の自覚が全くありませんでした。

 

というのも、子供の頃からダニとハウスダストのアレルギーがあり、風邪も引きやすく慢性的に鼻がズルズルしていました。(耳鼻科の受診はほぼ日課)

なので、今更鼻や目がムズムズしても、それが花粉のせいなのかよく分からないのです。

ただ現金なもので、数値を見せられて花粉症ですと言われると、なんかいつもよりダルい気がするとか、そういえば目も、とか始まってしまいました。

 

”認識して思い込むと、途端にそう感じる”ってありますよね。

 

自分の経験をブログに綴ろうと決めてから、これまでのことを思い出しつつ書き起こしているのですが、一つ一つ文字にしてしまうとなんだか大層なことのように感じて笑ってしまいました。

私にとっては当たり前のことですし、あえて自分のことを人に話すこともあまりないので皆こんなもんなのかなと思っていたんです。(実際ただの普通の人)

ですが、たまたま健康の話題になったときに少し自分のことを伝えたら、思っていたより驚かれてしまい、皆から「大変だね…」と言われたことで多少人より敏感な部分があるのかなと意識しました。

それまで私が自分の体質を他人と比較せず過ごせていたのは、幼いころから私の健康と向き合ってくれた人たちが、辛いことを理解しつつも多くの人が抱えていることだから心配しなくていいと言い聞かせてくれたからだと思います。

 

どんな症状であれ、何か体に不調があるのは辛いことです。思春期の私はそんな不調の連続に、まるで悲劇のヒロインかのように悲観したり、イライラすることもありました。でもそんな私に対して両親をはじめ病院の先生方が、突き放すでも甘やかすでもなく、社会に出て困らないよう寄り添ってくれていました。正直今だから分かることです。

学生時代欠席・早退の多かった私が今でも強く心に残っていることがあります。それは、連日早退になってしまっても両親は必ず暖かく迎えに来てくれたこと、そして母から何度も言われた、「社会に出るまでに自分の体を理解して、付き合い方を覚えなさい。」という言葉です。

両親ともに働いていましたから、急遽仕事を抜け出してくることは本当に大変だったと思います。何年も前のことですから、理解のある職場のほうが少なかったのではないでしょうか。実際最近当時のことを母に聞いてみたのですが、お母さん、その影響もあって職場も勤務形態も変えていました。ほんっとうに申し訳ない。

そのまま申し訳ないと伝えたら、「まあ自分の状況に合う環境に移動しただけだし、あんたが元気ならそれでいいよ。」と。もう言葉が出ませんでした。頭が上がりません。

ちなみに父も頻繁に迎えに来てくれましたし、今でも同じ職場で働いています。職場の方にも感謝です。

私が特に恵まれていたと感じるのは、安心して自分の不調を相談できたことと、前向きに付き合っていく方法を考える場所があったことです。

私が抱えていたものは体質的なものが多く、治療で完治させるというよりは一生付き合っていくものばかりでした。1つ1つは大したことがなくても、症状が出れば辛くて苦しいのも事実だし、でも周りの人と同じように生活していかなければならないことも現実としてあります。そのためには無理をするのでも過剰に反応するのでもなく、自分の体を理解して付き合い方を覚えることが必要でした。まさに母の言っていた通りです。

もし私が苦しんでいた時に、そんなことでと突き放されてしまったら我慢することしか覚えられなかったと思いますし、悲観して誰かに頼るだけでは自分自身で立てなくなっていたと思います。

苦しかったら休んでいい。時間をかけて、前向きに歩けるようになればいい。

困ったときはこのシンプルな考え方を忘れないようにしています。