ぽんぽんの憩い

過敏性腸症候群で強めのHSPです。日常などを綴っていこうと思います。

無意識のペコちゃんキャンディ

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幼い頃から病院にお世話になることが多い生活を送っていると、分野ごとにかかりつけのお医者さんがいたりします。耳鼻科はここ、内科はあそこで、入院になったら大きい病院のあの先生、みたいな感じです。そんな時、お医者さんとの相性はとても大切です。

子供の頃は特に、好きな先生と苦手な先生とでは病院へ向かう気持ちが全く違いました。怖いなと思ってしまうと病院に行きたくないため、症状を我慢して悪化させてしまうのです。なので、小児科に通っていた時は何度か病院を変えていました。

子供の頃の判断基準は簡単で、怖いか怖くないかの1点だけです。雰囲気や表情、触診するときの声掛けや処置の仕方がなるべく優しい人がいいと思っていました。1度だけ例外だったのは、喉の奥を見るときに当時アイスの木のスプーンみたいなものを奥まで押し込んでくる先生がいて、毎回えずいてしまうため苦手だったことはあります。

とにかく子供の私に具体的な腕の良し悪しなんてよくわからないし、ニコニコしていて人当たりがよさそうな先生がよかったのです。

そんな中で、大人になるまでずっとお世話になってきた内科の先生がいます。

意外ですがその先生は全く笑わないし、診察の時以外はカルテしか見ず、説明もカルテを見ながら早口で淡々としゃべる感じで子供に好かれる雰囲気かというとあまりそうではありません。私も最初行ったときは冷たい印象を受けて緊張していました。

初めての診察が終わって、次の診察をいつごろにするかの話をしていた時は、

「ああ、次くるの怖いな。」

と思っていたのですが、全ての話が終わった後先生が私に言いました。

「好きな色は?」

いきなりで早口だったので、まさか自分に話しかけられると思っていなかった私は、え、え、とどもってしまったのですが、先生は続けて

「好きな色。赤?オレンジ?それとも紫?」

とたたみかけました。

よく分からないながらもさくらんぼが好きだった私は焦りながら赤と答えました。

「赤ね、はい。」

と差し出されたのは赤色のペコちゃんキャンディ。

その時はいきなりだったので少し戸惑いながらお礼を言い、診察室を出たのですが、ちらっと先生を見ると何かを書いた付箋をカルテに貼っていました。”赤”って書いていたんじゃないかと勝手に想像しています。

その時は不思議な気分でした。冷たい感じがした、怖いと思った、でも好きな色のペコちゃんキャンディをくれた。

受付で次回の診察日を決めている頃には、次もペコちゃんキャンディもらえるのかなと考えていました。

 

それからは内科の受診が必要な時はその病院へ行き、必ずペコちゃんキャンディを貰っていました。それに、2回目以降は何も言わなくても赤色のキャンディを選んでくれて、覚えてくれていたという嬉しさもあり、少しずつその先生が好きになっていきました。印象が良くなってくると良いところが見えてくるようになり、早口だけど私の話は絶対に遮らないなとか、診察に入る時の声色は少し優しくなるなとか、どんどん私の中のいい人ポイントがたまっていきました。

看護師さんや受付のお姉さんがいい感じにギャルだったことも大きいです。先生とは違って私に気さくに接してくれて、先生にもフラットに話しかけていたので、その温度差が丁度良かったのだと思います。

何年も通って私も大きくなった頃お姉さんたちに、実は最初先生が怖かったと言ったら

「シャイなだけよー。」と笑っていたのが印象的です。

 

そんなこんなで通い続けて、小学校を卒業となった時先生はいつものキャンディを渡しながら

「ペコちゃんキャンディは小学生までだから、今日が最後だよ。」

と言いました。皆んなに大きくなったね、キャンディからも卒業だねってお祝いしてもらい、最後のペコちゃんキャンディを貰って帰りました。

 

で、中学生になったからと言って体質が変わるわけでもないので、入学してからすぐにお世話になりに行きました。普通にペコちゃんキャンディ貰いました笑

先生から説明はなくて、当たり前のように渡されて、母といつまでもらえるんだろうねって話しながら帰ったのを覚えています。

結局高校卒業までもらい続け、その後は他県に引っ越して一人暮らしを始めてしまったので区切りがどこだったのかは分かりません。

 

数年後、実家に帰ったついでにインフルエンザの予防接種を受けるため久しぶりにその病院を受診しました。顔見知りの看護師さんや受付の方とは久しぶりの挨拶をして、先生とは施術に必要な会話だけをかわし、予防接種は終わりました。

終わった後先生はなんの躊躇もなくペコちゃんキャンディを差し出してくれたのですが、渡す瞬間「あ。」みたいな、やっちゃった的な顔をしたんですよね。

先生が表情を変えたのをその時初めて見た気がします。流石に二十歳超えてのペコちゃんキャンディはなかったみたいです。

受け取ってしまったのでそのままお礼を言って頂いたのですが、数年会っていなくても覚えていてもらえたことの嬉しさと、習慣化するくらい通っていたことを思い出して少し感慨深くなりました。

 

少し前に母からの電話でペコちゃんキャンディの制度はなくなったと聞き、ふと思い出したことです。

 

 

 

幼稚園で不登校に 乗り越えるきっかけは大好きなさくらんぼ

 

保育園や幼稚園では、親御さんと先生がやりとりしたりその日の園児の様子を記録するための連絡帳みたいなものがありますよね。

私が通っていた幼稚園では、一人ずつ出席手帳を持っていて、登園すると手帳の日付の欄に果物のシールを、欠席すると椅子のイラストが描かれたお休みシールを後から貼ってもらうことになっていました。どの果物にするかは、各々好きなものを選ぶことができます。月の半数以上休むことが多かった私は、手帳の大部分が椅子のイラストで埋めつくされていたのですが、出席した時に好きな果物を選べることが嬉しくて、いつもさくらんぼを選んではキラキラ眺めていました。見た目も味もさくらんぼが大好きだったんです。

 

学校を休んだことが沢山ある私ですが、その理由の大半は体調的なものです。もちろん精神的に行きたくない日もありましたが、行きたくないと言えないタイプだったので仮病を使ったことはあまりなかったと思います。そんな私が、幼稚園生の頃に不登校になったことがありました。理由は、給食を食べる時間が苦痛だったからです。

私が当時通っていた幼稚園は、特別な日を除いて園で給食が出ていました。少しうろ覚えなのですが、給食を食べた後自由時間があって、その後お昼寝の時間という流れだったと思います。一定時間が過ぎたら、ご馳走様をして食べ終えた子から遊びに行っていました。そして、食べきれなかった子は全部食べきるまで教室に居残りというルールだったのです。私はほぼ毎日居残りになっていました。

特別好き嫌いが多かったわけではありません。明確な理由は覚えていないのですが、その頃は食が細かったのと、家とは違う環境で過ごすことになかなか慣れることができなかったのだと思います。とにかく給食を食べることが苦しかった記憶が残っています。

 

居残りになると部屋の電気は消され、窓から差し込んでくる光に照らされる中外で遊んでいる友達たちの声を聞きながら、中身が残っている給食の前でぽつんと座っていました。

時々嫌いなものを残した子が一緒に居残りになることもありましたが、思い切って苦手なものを食べ、遊びに走っていく姿を見送ってはまた一人になっていた気がします。

なんか、今思い出しても心がキューってなります。

結局食べられなくて私が泣いていると、しばらくして先生が教室に入ってきて給食の残っているものどれか一口を食べ、許してもらうというのが毎日の流れでした。

特別悪い園だったとか、意地悪な先生だったとかではありません。当時の時代には珍しくないルールだったのだと思います。

でも、そういった日々が続いていくと、ただでさえ行くのが憂鬱なのに、給食を食べなければいけないというのが強迫観念となって、朝登園しようとすると泣き出すようになってしまいました。

 

幼稚園へ通えなくなってしまった私に、両親はなんとかしようと試行錯誤してくれました。一つ一つのハードルを下げ、幼稚園の前までお散歩できるようにする、園の中まで入れるようになる、午前中だけ過ごせるようにする、とゆっくり段階を追ってリハビリしていきました。

午前中だけならなんとか過ごせるようになったのですが、給食の壁を超えることはとても難しかったです。

そこで母が園にお願いしてくれたのが、私の大好きなさくらんぼを持たせるので、慣れるまでそれを食べたら給食を食べたことにしてほしいということでした。

アレルギーでもないのに特別扱いするということですから、難しい問題だと思います。ほかの子からしたら違うもの食べてずるいってなりかねないですし、この対応が正しかったのかは分かりません。話し合いはされたと思いますが、結局園の先生は許して下さり、少しの間お昼はさくらんぼを食べて完食としてもらっていました。

すると不思議なのですが、食べられた、遊びに行けたという嬉しさが重なっていき徐々に給食も食べられるようになり、さくらんぼがなくても園に通えるようになっていました。毎日完食するというのは難しかったと思いますが、この出来事を機に居残りルールが緩和された気がします。

 

さくらんぼという、小さな”できた”を積み重ねた懐かしい思い出です。

 

 

 

 

自分の体との付き合い方 理解することと思い込むことの違い

 

去年の話なんですが、健康診断でコレステロール値が低く出てしまい、再検査となりました。簡単にいうと栄養失調とのことなのですが、先にお断りしておくと私普通にご飯食べていますし、体重も標準値です。

何かの間違いなのではと思いつつ別の病院へ再検査を受けに行き、お医者さんに開口一番「そうは見えないけどね。」と言われながらも血液検査とついでにアレルギー検査を受けました。

結果は栄養失調に関する数値は正常、花粉症が全ての種類で引っ掛かりました。

数値を見ながら先生に「これは毎年花粉の時期辛いでしょ。」と言われたのですが、私、花粉症の自覚が全くありませんでした。

 

というのも、子供の頃からダニとハウスダストのアレルギーがあり、風邪も引きやすく慢性的に鼻がズルズルしていました。(耳鼻科の受診はほぼ日課)

なので、今更鼻や目がムズムズしても、それが花粉のせいなのかよく分からないのです。

ただ現金なもので、数値を見せられて花粉症ですと言われると、なんかいつもよりダルい気がするとか、そういえば目も、とか始まってしまいました。

 

”認識して思い込むと、途端にそう感じる”ってありますよね。

 

自分の経験をブログに綴ろうと決めてから、これまでのことを思い出しつつ書き起こしているのですが、一つ一つ文字にしてしまうとなんだか大層なことのように感じて笑ってしまいました。

私にとっては当たり前のことですし、あえて自分のことを人に話すこともあまりないので皆こんなもんなのかなと思っていたんです。(実際ただの普通の人)

ですが、たまたま健康の話題になったときに少し自分のことを伝えたら、思っていたより驚かれてしまい、皆から「大変だね…」と言われたことで多少人より敏感な部分があるのかなと意識しました。

それまで私が自分の体質を他人と比較せず過ごせていたのは、幼いころから私の健康と向き合ってくれた人たちが、辛いことを理解しつつも多くの人が抱えていることだから心配しなくていいと言い聞かせてくれたからだと思います。

 

どんな症状であれ、何か体に不調があるのは辛いことです。思春期の私はそんな不調の連続に、まるで悲劇のヒロインかのように悲観したり、イライラすることもありました。でもそんな私に対して両親をはじめ病院の先生方が、突き放すでも甘やかすでもなく、社会に出て困らないよう寄り添ってくれていました。正直今だから分かることです。

学生時代欠席・早退の多かった私が今でも強く心に残っていることがあります。それは、連日早退になってしまっても両親は必ず暖かく迎えに来てくれたこと、そして母から何度も言われた、「社会に出るまでに自分の体を理解して、付き合い方を覚えなさい。」という言葉です。

両親ともに働いていましたから、急遽仕事を抜け出してくることは本当に大変だったと思います。何年も前のことですから、理解のある職場のほうが少なかったのではないでしょうか。実際最近当時のことを母に聞いてみたのですが、お母さん、その影響もあって職場も勤務形態も変えていました。ほんっとうに申し訳ない。

そのまま申し訳ないと伝えたら、「まあ自分の状況に合う環境に移動しただけだし、あんたが元気ならそれでいいよ。」と。もう言葉が出ませんでした。頭が上がりません。

ちなみに父も頻繁に迎えに来てくれましたし、今でも同じ職場で働いています。職場の方にも感謝です。

私が特に恵まれていたと感じるのは、安心して自分の不調を相談できたことと、前向きに付き合っていく方法を考える場所があったことです。

私が抱えていたものは体質的なものが多く、治療で完治させるというよりは一生付き合っていくものばかりでした。1つ1つは大したことがなくても、症状が出れば辛くて苦しいのも事実だし、でも周りの人と同じように生活していかなければならないことも現実としてあります。そのためには無理をするのでも過剰に反応するのでもなく、自分の体を理解して付き合い方を覚えることが必要でした。まさに母の言っていた通りです。

もし私が苦しんでいた時に、そんなことでと突き放されてしまったら我慢することしか覚えられなかったと思いますし、悲観して誰かに頼るだけでは自分自身で立てなくなっていたと思います。

苦しかったら休んでいい。時間をかけて、前向きに歩けるようになればいい。

困ったときはこのシンプルな考え方を忘れないようにしています。

 

 

 

過敏性腸症候群の私が日々気を付けていること

 

こんにちは。刺激に弱い人です。

今日は私のお腹事情と、その付き合い方についてお話させて頂きたいと思います。

私は幼いころからお腹が弱く、ちょっとしたことで、あるいは何もなくても調子が崩れることが日常茶飯事です。

お腹がゆるくなったり、逆に便秘になったりといった身近な症状がほとんどですが、小学生の頃給食を食べると腹痛で動けなくなる日々が続いたことがありました。

その時はありとあらゆる病院を受診し、様々な検査を受けたのですが原因が分からず、午後の授業が嫌で仮病を使っているんじゃないかとカウンセリングを受けたり、お祓いに行ったほうがなど(実際に行った)色んな意見が出たのを覚えています。

結局最後まで原因は分からず、時間が過ぎるとともにいつの間にか落ち着いていました。

何年も過ぎた現在でも、あれはいったい何だったんだろうと家族で話すことがあるのですが、社会人になって健康診断を受けた際、お医者さんにそれとなくお腹の症状を伝えたところ、おそらく”過敏性腸症候群”だろうと言われました。

 

この”過敏性腸症候群”、日常に多大なる影響を及ぼしてきます。

お願い今はやめてって時に限ってお腹がグルグルしてくるし、かと思えば何日も便秘になったりと、とにかくお腹の機嫌をとるのが大変です。

このせいで私は中学生での初デート中、相手を1時間近くトイレ待ちさせてしまったことがあります。(快く許してくれた寛大な心を持った方でした。本当にありがとう。)

こういった経験を経て、何年もこの体質と向き合ってきて学んだことから、私が日々気を付けていることを書いていこうと思います。医学的にとかではなく、経験から学んだ個人的な対策です。

 

①時間に余裕を持たせて、いい感じの時に家を出る

皆さん、家を出る時間て大体固定されている方が多いと思います。目的地に着きたい時間から逆算して、多少余裕を持たせたりと前後はしても、ある程度決めた時間に出発しているのではないでしょうか。

私が決めているのは、絶対にこの時間までには出発しなければならないというデッドラインです。大体それの40分前くらいに準備を終わらせ、デッドラインまでの間でお腹の調子がなるべくベストなタイミングで家を出ます。気楽に構えることがポイントで、「まだ余裕あるなー、あ、今調子いいな出発しよー。」って感じです。

決めた時間が近づいてくるという緊張がお腹を圧迫するのでそれを防ぐためでもありますし、長年この体で過ごしていると、今なんともなくても少したったら崩れそう、みたいな勘が働くようになります。そしてそういった予感は大体当たります。逆に、今を逃すとデッドラインで苦しくなりそうみたいな時は、もう捨て身の覚悟で向かいます。着いちゃえばなんとかなるだろ精神ですね。

逆にお腹のことを考える暇がないほどギリギリに起きてみることを試していた時期があったのですが、違う疲れとストレスが出てしまい辞めました笑

今は時間の余裕をお守りにしています。何より、時間に余裕がある安心感がお腹の調子を整えてくれたりします。

 

②外出時に食べるものはお腹と相談して決める

家では気にすることが何もないので比較的なんでも食べますが、外にいるときや仕事中などは口にする物には気を付けています。特に香辛料の多く入った辛い物や、乳製品はもれなく胃と腸を刺激してしまうため、口にしてしまうと高確率でトイレにこもることになってしまうので要注意です。

また、日によって症状の度合いは変わりまして、ストレスが溜まっていたりするとカフェインが入った飲み物が一定期間飲めなくなってしまったり、調子が悪いときは固形物を口にしただけでお腹が痛くなってしまったりするので、基本お腹ファーストな食生活です。

ぶっちゃけこの辺は見極めが難しくて、なんか今日はいけそうな気がすると根拠もないのに辛い物を食べて、撃沈したことも数えきれないほどあります。

ちなみにパイナップルを食べると必ず酷い腹痛に襲われるのですが、これも体質のせいなんですかね。よく分かっていないので念のため控えています。(フルーツサンド食べたい…)

 

③腹7.5分目くらいで抑える

お腹が弱い人にとって、食べる量も注意すべき点です。私は食べることが大好きなので、ついつい食べすぎてしまい、苦しんで後悔してを繰り返すことで7.5分目くらいがベストだと落ち着きました。10分目まで食べてしまうと、その後暫くトイレにこもって冷や汗を流すことになるし、8分目を超えて満腹が近づいてくると、満足よりもお腹が張って不快感の方が勝るようになってしまいます。

食事を終えてから時間差で症状が出てくるのが難しいところで、ついつい箸が進んでしまうコース料理は要注意です。場の楽しい空気も相まって、もれなく食べすぎて何度も泣きを見てきたので、食べる量は肝に銘じています。

「デザートは別腹」とか言ってみたかったです。

 

④お腹を冷やさない、締め付けない

これもお腹が弱い人は基本的な対策の一つだと思うのですが、絶対に欠かせないことです。私のお腹は、外部からでも内部からでも冷たい空気を察知すると、とても活発に動き始めます。医療に詳しくないのでこれが何を意味しているのか分かりませんが、とにかくちょっと冷気に触れただけで大騒ぎするのです。激弱です。なので、季節関係なくお腹は頑丈に防御しています。何気に攻撃力が高いのが、スーパーの食料品売り場の冷気です。鮮度を保つため仕方ないのですが、なるべく早く通り過ぎることができるよう、買うものは決めてから行くことにしています。ちなみに子供の頃は近づくとお腹が痛くなっていたため、母がお肉などを選んでいる間は別のコーナーで待っているのが習慣になっていました。

それと原因が分からないけどお腹の調子がよくないなって時にお腹の締め付けを緩くすると治まることがあります。自分ではピッタリだと思っていても、案外お腹を刺激しているので要注意です。

 

⑤受け入れて、気にしすぎない

細かい対策は他にも沢山あるのですが、何よりもこれが1番大切かなと思っています。

これまでいつだってこの症状に悩まされてきたし、時間が細かく決められている学生の頃は1日の大半をお腹を気にして過ごしていて、お腹から変な音がしたり、トイレに篭るのが恥ずかしくて、「何で⁉︎」って言いようのない苛立ちを覚えたことも何度もあります。

でも何年も悩んできたおかげで自分の体についても大分わかるようになって、それなりに苦しい時もありますが、「あーはいはいそうなるよねー。」と思えるようになりました。

また、SNSやインターネットで検索すると自分と同じような症状の人が沢山いることを知ったことも大きいです。以前は何で自分だけって思うこともありましたが、”過敏性腸症候群”というものがあることを知って、色んな人がそれと付き合いながら生活をしていることを知れたことで、心が軽くなりました。それに、先回りして打てる対策を打っておけば、周りの人もとても優しい方が多いです。どうしようもないものはしょうがないって割り切れるようになりました。

 

以上5つが、私が日常生活で気を付けていることです。書き出すときりがないので、基本的な部分を上げてみました。きっと私が知らないだけで、周りの人達も何かしら抱えながら生活しているのだと思います。身近に似たような境遇の人がいないので、1つでも共感できる部分がある方がいたら嬉しいです。