幼稚園で不登校に 乗り越えるきっかけは大好きなさくらんぼ
保育園や幼稚園では、親御さんと先生がやりとりしたりその日の園児の様子を記録するための連絡帳みたいなものがありますよね。
私が通っていた幼稚園では、一人ずつ出席手帳を持っていて、登園すると手帳の日付の欄に果物のシールを、欠席すると椅子のイラストが描かれたお休みシールを後から貼ってもらうことになっていました。どの果物にするかは、各々好きなものを選ぶことができます。月の半数以上休むことが多かった私は、手帳の大部分が椅子のイラストで埋めつくされていたのですが、出席した時に好きな果物を選べることが嬉しくて、いつもさくらんぼを選んではキラキラ眺めていました。見た目も味もさくらんぼが大好きだったんです。
学校を休んだことが沢山ある私ですが、その理由の大半は体調的なものです。もちろん精神的に行きたくない日もありましたが、行きたくないと言えないタイプだったので仮病を使ったことはあまりなかったと思います。そんな私が、幼稚園生の頃に不登校になったことがありました。理由は、給食を食べる時間が苦痛だったからです。
私が当時通っていた幼稚園は、特別な日を除いて園で給食が出ていました。少しうろ覚えなのですが、給食を食べた後自由時間があって、その後お昼寝の時間という流れだったと思います。一定時間が過ぎたら、ご馳走様をして食べ終えた子から遊びに行っていました。そして、食べきれなかった子は全部食べきるまで教室に居残りというルールだったのです。私はほぼ毎日居残りになっていました。
特別好き嫌いが多かったわけではありません。明確な理由は覚えていないのですが、その頃は食が細かったのと、家とは違う環境で過ごすことになかなか慣れることができなかったのだと思います。とにかく給食を食べることが苦しかった記憶が残っています。
居残りになると部屋の電気は消され、窓から差し込んでくる光に照らされる中外で遊んでいる友達たちの声を聞きながら、中身が残っている給食の前でぽつんと座っていました。
時々嫌いなものを残した子が一緒に居残りになることもありましたが、思い切って苦手なものを食べ、遊びに走っていく姿を見送ってはまた一人になっていた気がします。
なんか、今思い出しても心がキューってなります。
結局食べられなくて私が泣いていると、しばらくして先生が教室に入ってきて給食の残っているものどれか一口を食べ、許してもらうというのが毎日の流れでした。
特別悪い園だったとか、意地悪な先生だったとかではありません。当時の時代には珍しくないルールだったのだと思います。
でも、そういった日々が続いていくと、ただでさえ行くのが憂鬱なのに、給食を食べなければいけないというのが強迫観念となって、朝登園しようとすると泣き出すようになってしまいました。
幼稚園へ通えなくなってしまった私に、両親はなんとかしようと試行錯誤してくれました。一つ一つのハードルを下げ、幼稚園の前までお散歩できるようにする、園の中まで入れるようになる、午前中だけ過ごせるようにする、とゆっくり段階を追ってリハビリしていきました。
午前中だけならなんとか過ごせるようになったのですが、給食の壁を超えることはとても難しかったです。
そこで母が園にお願いしてくれたのが、私の大好きなさくらんぼを持たせるので、慣れるまでそれを食べたら給食を食べたことにしてほしいということでした。
アレルギーでもないのに特別扱いするということですから、難しい問題だと思います。ほかの子からしたら違うもの食べてずるいってなりかねないですし、この対応が正しかったのかは分かりません。話し合いはされたと思いますが、結局園の先生は許して下さり、少しの間お昼はさくらんぼを食べて完食としてもらっていました。
すると不思議なのですが、食べられた、遊びに行けたという嬉しさが重なっていき徐々に給食も食べられるようになり、さくらんぼがなくても園に通えるようになっていました。毎日完食するというのは難しかったと思いますが、この出来事を機に居残りルールが緩和された気がします。
さくらんぼという、小さな”できた”を積み重ねた懐かしい思い出です。